日々学び中

2014年6月から小杉利津子さんの真理の勉強会、真理心理学臨床心理学実験(2019年~2021年)に参加していました。その時に学んだこと、今になって分かったことを主に書いています。

家族の行動から考えたこと

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りつこさんとのやり取り - 日々学び中

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※【】内は”0和”実験連絡ブログ内の、りつこさんの言葉です。

おはようございます。

私には、家族の行動で不思議だと思うことがあります。私にも家族から思われていることがあると思いますが、今回は棚へ上げて家族のことを書きます。

その家族の行動とは、「不要なものを捨てずに隠す」です。

家族①:今後使わないとわかっていて、自分でも捨てると言っているものを、とりあえずベッドの下など見えないところに置く。そして何年も放置。

家族②:空きペットボトルなどのゴミを棚に入れる。その場しのぎで、そのまま忘れていると思われる。

私は不要な物はさっさと捨てて、スッキリしたいというタイプなので、気持ち悪くないのかな?と思います。見えていなくても、無くなったわけではなく在るのだから、私は処分するまで気持ちが悪いです。

 

実験で、下記のようにりつこさんに教えてもらいました。

【脳や心が主にする「思考」の作業とは,いち私考から波及し,私行され,それが指向を生み,志向となって「思考方向」を作り出し,“性”と為す 。方向性“性”とは,

〔辞書:⑤ 名詞の下に付いて,その性質・傾向をもっていることを表す。「柔軟―」「植物―」「経済―」「アルカリ―」

(辞書内の下線部分よりつづく)。……「思考」という単語の裏には,その者が持つ性質や考え方の傾向を指し示す意味合いも含まれている。前述一文の太字表記した全部がしこうという音霊から波及している言語だ。】

以上から私は、その人の考えがその人の行動になっていくと解釈しました。逆に言えば、行動から、考え方が分かるということだと思います。

私は、家族の不思議行動の元には、何があるのだろうか?と考えました。

そして、不要品を見えなくする→見にくい=見難い=醜いなのではないか?と考えました。

【「みにくい」を作ることよって,自分の脳裏に死角を作って「見ないようにしている(=無視)」となり,そういう心的態度から偏見が生まれ,自分自身の立ち位置から形=人格までが歪になっていく。】と、りつこさんに教えてもらいました。

ここから、上記の家族の行動は、「みにくい」の作り方なのではないか?と思いました。(飛躍しすぎているかもしれませんが、一応最後まで書きます。)

不要品:自分にとって要らないモノ、見たくない自分や出来事と考えました。

家族①:不要品があった時、見えないところに置いたり蓋をしたりして、最初からなかったことにする。

家族②:とりあえずその場しのぎで、取り繕う。そして忘れる。

家族③:①②とは逆で隠さず、モノを多くして目立たなくし、自分でも分からなくなる。

そして私は?

私は、不要品はさっさと捨てたいタイプですが、そこに行くまでは、これはいずれ使うかも~としつこく持っていたりします。だから、醜い自分であるのに、価値があるとすり替えて思い込み、私には醜いところなんてありませんよ~と自分を騙しているのではないか?と思いました。

以上のように考えてみると、意外と当たっているような気がしてきました。

R5.7.7 10:28