日々学び中

2014年6月から小杉利津子さんの真理の勉強会、真理心理学臨床心理学実験(2019年~2021年)に参加していました。その時に学んだこと、今になって分かったことを主に書いています。

誇りって大事?

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ブログを再開します - 日々学び中

りつこさんとのやり取り - 日々学び中

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※【】内はりつこさんの言葉です。

おはようございます。

以前にも書いたのですが、私は実験に参加してから、簡単に使えなくなった言葉がいくつかあります。「誇り」もその一つです。

「つもり」はつもりなだけ - 日々学び中 に、りつこさんから下記のコメントをもらいました。

【「つもり」は「積もる」の連用形よね。発展させて「降り積もる」←“雪”みたいなニュアンスだけど、実際には積もり積もって付着する、所謂「埃(り)」=「誇(る)」為の便利アイテムとして無意識に使っているのよね。~以下省略~R5.4.14 13:09

実験でも、教えてもらっていました。

みんなへの疑問「どうしてこんなに『分かったつもり』で生きているの?!」が正直な感想だった。その『心算:つもり』の原因は『誇り』や『奢り』の副作用であり,霊的物質化で視えては濁る「埃」だった。その「ほこり」が塵も積もれば山と化した原因で,あんなにも各自の「中道(=食道に匹敵)」を歳を重ねる毎に「分かった」として積もり積もって詰まらせ,「オヤジ臭・ババ臭さ」へと体外放出されていくのだと分析できる】

【誰しもが「お互い様」を知ろうとしないでホコリばっかり撒き散らし,言うことを聞いてくれない埃っぽい人が,マンスプレイニングに見たその悪循環からますますキレて怒りっぽくなっている。これが目に見えない空気の質の化学変化の現況だ。このような状態では,人間関係もそこかしこで蝕(=虫歯:黒く“穴”が空く)まれるのも無理はない事態,それが実態をもって起こり続けている】(”0和”実験連絡ブログより)

「誇り」の意味を調べると、「誇ること。名誉に感じること。また、その心。(デジタル大辞泉より)」とあります。

また、「誇り」の意味の中にあった「名誉」を調べると、「1 能力や行為について、すぐれた評価を得ていること。また、そのさま。2 社会的に認められている、その個人または集団の人格的価値。対面。面目。(デジタル大辞泉より)」とありました。

私は「誇り」は、自分を誰かや何かと比べて、自分は価値があると評価して、自慢したり得意になることだと解釈しました。

私の個人的な意見ですが、別に、誇れるようなモノを持っていたっていいのではないか?と思います。しかし、「誇る」「誇りたい」という心の方向性は、自他を分けて他者より自分を上に置き、できているつもり、やっているつもりになって、根拠もないのに自分はすごい、正しいと虚像を作り、埃を量産してまき散らすという状態に向かっていると思います。

私は実験に参加する前は、プライドだけは高く、自分は善い人だとか、できる人間だと思い込み、それを誇りにしていました。何か誇れることがあるということが、私にとっての支えでした。埃まみれでババ臭さをまき散らしていたと思います。

先日知人と話していた時、その知人が「私には誇りしかないから」と言い、それを聞いた私は、胸を張って鼻高々な様子と、強風の日の乾いている校庭のような、砂埃が舞っている風景が思い浮かび、何とも言えない気持ちになりました。

これは自分の姿なんだな、こうやって自分のやったことは自分に還ってくるのだと、しみじみと感じた出来事でした。

R5.6.22 9:17