日々学び中

2014年6月から小杉利津子さんの真理の勉強会、真理心理学臨床心理学実験(2019年~2021年)に参加していました。その時に学んだこと、今になって分かったことを主に書いています。

母への恨み=重圧(私の場合)

※【】内は”0和”実験連絡ブログ内の、りつこさんの言葉を引用したものです。

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こんにちは。ご訪問ありがとうございます。

実験に入る前りつこさんに、各人が置かれている状況を教えてもらいました。その頃私は、「母への恨み」に気づいたところだったのですが、りつこさんからこれは重圧であると教えてもらいました。

【 【〈新たに気づいた偏り〉・母への恨み】←この状況で使用されている“恨み”とは(←いちいち“理り”を入れるその理由は,「“恨み”の状態は個人個人で違い,各々がそれぞれでさまざまな様子&状況を作り出していく」ということです。なので,あくまでもケースバイケースで,ここでは「ともさんの場合は!」なのです。

気の世界は,おおまかに“当たり”(=見当)や“区切る”ことはできても,違う人の「同じ状況」を,「同じ言葉」で括れるとは限りません。ともさん他多くの女性の場合,発想そのものがイージー=安易なので,頭の中で「その言葉ジリだけで世界観を作り上げちゃう」から要注意なんですね。上記「Kさん」然り),気の世界の他の言葉でわかりやすく表現すると,「“重圧”という状態」になります。ともさんの場合はその重圧のおかげから派生するさまざまな感覚を持っている……という状況になります。】

私は小さい頃から、(実際はそうではないのかもしれませんが、)自分が犠牲になっているという感覚があり、その感覚も重圧から派生したものだと知りました。

重圧の意味を調べると、「強い力で圧迫すること。強くおさえつけること。また、その力。(デジタル大辞泉より)」とありました。たしかに私は、ずっと重さを感じていました。それが何なのか?よく分からずここまで来てしまったのですが、最近感覚の変化がありました。

先の連休あたりに夫が4日程不在で、その間私は心身ともになんだか軽くて、自分でもあれ?という感じでした。夫婦仲が悪いわけではなく、むしろ今までで一番良い状態だと思うので、嫌な人がいないから楽、というわけではないと思います。

なぜなのか?と考えてみたところ、夫がいないことで、妻の役割をしなくてもよかったからではないか?と思いました。私は、義務感で動いていたのではないだろうか?そう考えたのは、ここのところ私の「我」について考えることが多く、~しなければならない、~であるべきという思い込みが、とても多いことが分かったからです。

こう考えていくと、私が感じていた「重圧」というのは、「~しなければならない」「~であるべき」「私は善い人」などという思いではないか?と思いました。そして、これは母の理想像でもあり、母の理想の娘の型枠に、ギュウギュウと押し込められるような圧を感じながら、理想の娘を演じていたから、私はその重圧を「母への恨み」として感じていたのではないか?と思いました。また私は、常にやりたくないことをやっている、母の言いなりになっているような感覚から、「犠牲」だと感じていたのではないだろうか?と思いました。

「つもり」はつもりなだけ - 日々学び中の記事に、りつこさんにコメントをいただいたことがありました。

とも

「埃(り)」=「誇(る)」の「ほこ」は「矛」で,その矛の指している方向が,自分に汚れを付着させていく方向,ということでしょうか?R5.4.15 9:16

りつこさん

「“矛”る」で「誇る」、←それ「方向指示器」みたいなニュアンスで、実験中に説明させていただいた“つもり”もありました。(以下省略)

更に補足すると、方向指示器に成るという事は、負荷が掛かる、という事になるので、偏っていく、つまり「片方に寄って行く」動作になるので、王道という真っ直ぐな道から外れて行く……という感覚につながります。よろしく〜☆彡R5.4.15㈯23:17

矛の方向が、「母の理想の娘を演じる」で、負荷が掛かり偏っていくと考えると、私が【〈新たに気づいた偏り〉・母への恨み】としたのは、間違いではなかったのかなと思います。そして王道から外れ、我の意識で生きているということが、改めて分かりました。

私はこうして、色々と母のことを書いていますが、以前ほどの恨みはありません。母の環境などから、そうせざるを得なかったことや、私の性質などから受け取った結果が今だということだと思います。母は母なりに、子どもを愛してくれていると思っています。

長年の疑問「母への恨み=重圧」について、私なりに答えが出てスッキリしました。

R5.9.22 10:40