日々学び中

2014年6月から小杉利津子さんの真理の勉強会、真理心理学臨床心理学実験(2019年~2021年)に参加していました。その時に学んだこと、今になって分かったことを主に書いています。

我慢

こんにちは。ご訪問ありがとうございます。

私は前記事で、感じていた重圧について私なりに答えを出せてから、なんだか楽になりました。

今までの私を振り返り、なぜそんなに必死に我慢していたのか?と疑問に思います。

そして勉強会で「我慢」について取り上げられたことがあったと思い出し、今までの私と繋がったように思いました。

「我慢」の意味を調べると

1 耐え忍ぶこと。こらえること。辛抱。
2 我意を張ること。また、そのさま。強情。

3 仏語。我に執着し、我をよりどころとする心から、自分を偉いと思っておごり、他を侮ること。高慢。 (デジタル大辞泉より)

とあります。

私は1の意味しか知らず、1のみで使用していましたが、2や3の意味もあることをこの時初めて知りました。今振り返ってみて、この言葉は私の生き様そのものだと、ぴったりすぎて笑えてきます。

私は重圧を感じ、自分が犠牲になっていると感じながら、辛抱していると思っていました。我慢は美徳のような風潮もあるし、我慢するのはいいことだと思っていました。我慢が悪いわけではなく、必要な時もあると思いますが、その我慢は何の為なのか?私のように、結局自分の為とかだと、偏っていくことになるのかと思います。

私は子どもの頃、小公女セーラというアニメが好きでした。主人公になったような気持ちで観ていて、本も読んだことがあります。セーラは素直で優しい子で、いじめやひどい仕打ちにも耐え、最後は幸せになるという逆転劇ですが、これも私にとってある意味、洗脳のようなものだったかもしれません。

そうして辛抱していると自分を騙しながら、私が実際にやっていたことは、我に執着して我を張って、私は善い人だからとおごり、他人を見下し、そんな自分を疑問にも思わないという我の意識で生きることでした。

勉強会で「我慢」について取り上げられた時、自分の意見をコメントするようになっていたのですが、私は分からないからとスルーしてしまいました。これも今になり、自分と向き合いたくないからコメントできなかったのだと分かりました。

勉強会でりつこさんに「言葉の意味、本質を探っていくと、自分たちが何をしでかしているのかよく分かる(私の解釈で記しています)」と聞き、その時は意味が分からなかったのですが、「我慢」という言葉を通して、私が何をしてきたのかが分かったように思います。

R5.9.29 12:30