日々学び中

2014年6月から小杉利津子さんの真理の勉強会、真理心理学臨床心理学実験(2019年~2021年)に参加していました。その時に学んだこと、今になって分かったことを主に書いています。

自分の価値観が正しいと思っていた私

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こんにちは。

前回の記事で、みなさんに”恥かき”しませんか?とお勧めしたので、今日は私のことを書こうと思います。

 

以前の職場に親から溺愛されている人がいました。毎日職場に親が送迎し、母親手作りのお弁当持参。そんな彼女のことを、私は甘えすぎだと思っていて大嫌いでした。

だから、彼女がやってほしいと思っているだろうことを、気づかないふりをしてやらないなど意地悪をしたり、陰口を言ったりしていました。

でも、周りの職員は彼女に好意的でした。私は、なぜあんなに甘え放題なのに、誰も腹が立たないの?と思っていたし、みんながおかしいとまで思っていました。

今振り返ってみると、私は彼女のことが羨ましかったのだと分かります。親から大事にされていて、甘えることができる彼女のことがとても羨ましかった。だから、私だけが過剰に反応してしまった。

私が嫌だと思っているから、みんなも嫌だと思うに違いない、そう思わない人はおかしいと思っていた自分が恥ずかしいです。周りの人も、いつもイライラしている人(私)よりも、彼女の方がいいと今は分かります。

またこの時、私は自分が注目されたいとか、重用されたいという思いを持っているということに気づきました。私は自分のことを控えめな人間だと思っていました。目立つことはしてはいけない、控えめにしなければいけないのだと、思い込んでいたのだと思います。

他にも、自分の価値観を押し付けていたことがあります。

私なら選ばないというメニューを選んだ相手のことを、遠慮しているのかな?とか、信じられないとか思っていました。言われたものと違うものを買っていったこともあります。書いていて自分のことながら、どうかしている人だと思います。

私に好みがあるように、相手にも好みがあります。自分が嫌いだから相手も嫌いなはずと思っていた、私のやらかしに気づいたときは、衝撃を受けました。

こんな私ですが、周りの人たち助けてもらいながら、今まで生きてこられました。

以前の私は、こういう自分のことが大嫌いで認められませんでした。汚い自分を隠すために、潔白でいようと装い、無理していました。

しかし今は、そういうところも全部含めて私だと思えるようになりました。勉強会や実験に参加し、学べたおかげだと思っています。

R5.6.14 12:07