日々学び中

2014年6月から小杉利津子さんの真理の勉強会、真理心理学臨床心理学実験(2019年~2021年)に参加していました。その時に学んだこと、今になって分かったことを主に書いています。

高望みする癖

※【】内はりつこさんの言葉です。

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こんにちは。ご訪問ありがとうございます。

 

私は実験で、りつこさんに「高望みする癖」を指摘してもらった。

【智の頭の中では「いつも高望みする癖」が,私に向ける質問の要所要所に露呈されている。そうやってこれまで理想化した自分自身像と,この私とを常に比べて「イイ悪い」をジャッジしている。その癖そろそろヤメてほしい★でないと,周囲のビジョンがいつまで経っても見得て来ない。故に私以外の他者と心の手を繋げない】

そろそろ階段昇る←その動作はヤメない?……自身の視点を落ち着かせて(=安定させて「杭を打つ」),その視界を広げて,先行き=未知=道:考え方を伸ばして行ければ,自然と発想も大きく広がるよ。そうすることで自分を小さく,もっと言えば「極小な自分」として捉えられるようになる。それで波風が立つ感情論とはおさらばできるという,そういうストーリー展開になっている。で極論として,そうして進んで行かないと,その先に存在する本物の光り=真理には到達できない(←なんせ「みずから」だから)。よろしく〜☆彡】

私はここのところ、心穏やかな日々を過ごしているが、少し前までは、波風が立ちまくり常に時化の状態だった。いつも焦燥感があって、何かに煽られているような、せっつかれているような感覚で、自分でも原因がよく分からなかった。

今考えてみると、りつこさんに指摘されたように、いつも高望みして、上へ上へと向かおうとしていたことが原因だと思った。私は成長するというのは、階段を上っていくというイメージを持っていたけど、りつこさんが「昇る: 高い地位につく。  太陽・月などが空高く現れるまた、上方すすんで高い所に達する。(デジタル大辞泉より)」を使っていることから、私の実際は、自分の足を使うわけでもなく、一気に楽をして、自分を実力以上の上におこうとしていたのではないか?と思う。この高望みする癖も、我の意識で生きている証拠だと思った。

上ばかりを見ているから、自分の足元や自分自身に目を向けることもしないし、他人にも興味がない。妄想で、自分の理想の凄い人になれるから、努力も不要。いつまでたっても実力がつかないし、ひとりよがりなままだ。自分で自分の範囲を狭めていたのだと思う。

夫に、「ともは向上心があるね」と言われたことがあったけど、私の場合は、自分の小ささを認められず、身の丈が分からず、無理して高望みしているだけだった。

自分の理想が高すぎるから、その差で落ち込むことも多かったが、自分はこんなものだと分かっていれば、装わなくてもいいし、誰とも比べなくてもいいし、ショックをうけることもないのだと、今は楽になっている。

R5.11.20 12:17