日々学び中

2014年6月から小杉利津子さんの真理の勉強会、真理心理学臨床心理学実験(2019年~2021年)に参加していました。その時に学んだこと、今になって分かったことを主に書いています。

「ちゃんとしなさい」

※【】内は”0和”実験連絡ブログ内の、りつこさんの言葉を引用したものです。

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おはようございます。ご訪問ありがとうございます。

 

私はパートで働いていた時に、他のパートさんから「ちゃんとちゃんとの味の素だね」と言われたことがある。昔、このようなフレーズが印象的なCMがあった。

私はそのCMを知っていたが、その人の言っている意味が分からなくてポカーンとしていたら、私が「『ちゃんとしている』『ちゃんとする』とかを、よく言う」ことを教えてくれた。私はその口癖に全く気付いていなかったので、とても驚いた。

実験でも「ちゃんとしなさい」について、メンバーから意見が出たことがある。

Aさん:母はずっと「ちゃんとしなさい」と私に言い続けていた。それが「もっとちゃんとしなきゃ」と私を過度に縛り付けて,自分を不自由で不安にしていたのだと思った。

りつこさんより

〔母親の「ちゃんとしなさい」は「心に刻む」と同じ原理だね。じゃ「ちゃんとする」とはどういう意味なんだろうね?……それこそが母親の理想像という虚像育てに引っ掛かってしまっていたという事実だけが残るね★今のAの実情を見ると。(←こうした私の態度も「こざかしい」に入るからね★)R3.4.19 15:43〕

私もAさんの意見と同じく、両親、特に母から「ちゃんとしなさい」と言われ続けてきた。この「ちゃんとしなさい」は、私にとって呪いの言葉だったと思う。考えてみると、私は常に「ちゃんとしなければ」と思っていたし、40年以上「ちゃんとする」ことを義務のように守ってきて、しかも無意識にやっていた。

「ちゃんと」の意味を調べると、

  1. 少しも乱れがなく、よく整っているさま。 確実で間違いのないさま。 結果が十分であるさま。 すばやく動作をするさま。さっと。(デジタル大辞泉より)」とある。

「ちゃんとする」は、とても漠然としている。何かと比べて相対的に「ちゃんと」といえるけど、その基準が曖昧だ。個人や場合によって「ちゃんと」の内容が違うと思う。

私は母の「ちゃんとする」を何となく汲み取って、自分なりに演じていたのだと思うが、明確な基準があるわけではないから、自分が外れてしまっているのではないか?といつも不安で、周りの目を必要以上に気にしていた。りつこさんのコメント通り、私は【母親の理想像という虚像育てに引っ掛かってしまっていた】。本当に不自由だった。

これが私の、母への恨みになっていたのではないか?と思っている。

R5.11.6 10:11