日々学び中

2014年6月から小杉利津子さんの真理の勉強会、真理心理学臨床心理学実験(2019年~2021年)に参加していました。その時に学んだこと、今になって分かったことを主に書いています。

我の思う壺にはまる

※【】内は”0和”実験連絡ブログ内の、りつこさんの言葉を引用したものです。

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こんにちは。ご訪問ありがとうございます。

 

ここのところ近所で、民家の解体工事らしきことをしているのだが、先日は家の瓦を剥がし、溜まった汚れを下に向けて掃いていて、周辺が埃まみれになっていた。砂嵐みたいだった。うちの方にも飛んできて、その日は布団まで干してしまっていたので、迷惑だなーと思っていた。しかし考えてみると、私もプライドだけは高くて、こうして埃をまき散らして、周りに迷惑をかけていたのだろうと思った。

私はブログを再開して、実験や今までのことを振り返ったり、我と向き合ったりしてきたが、今強く思うのは、私は我の思う壺で生きてきたということだ。そして、我の意識のままではどうにもならないということが、ようやく実感できたように思う。

実験の前にも、りつこさんから以下のように聞いている。

【我が在ると,真理の話はその体に通っては行かない~中略~我だらけの体&脳みそのままで,いくらこすぎから話を引き出して,聞いていたって,結果「実に成らない」し,身に付かない=無駄話にしてくれるだけなんです。←それが最初から私には「分かる」んです,だから,私の立場では,まず皆さんにこびりついている「我外し」から始めないとならなかった……。】

勉強会の時から何度も聞いてきていて、私は分かったつもりになっていた。聞くたびに、「うんうん。そうだよね」と思っていたが、私はずっと我の状態で、その状態にも気づいていなかった。正に、我の思う壺だと思う。

我の状態だと、自分の都合の良いように聞いてしまうし、自分の言動や行動や考えを疑うこともしないし、自立しているつもりだから、自立しようなんて思わないし、いつまでたっても弁えることもできず、無知であることも分らず、邪霊のように暗闇を漂いながら一生を終えることになるんだと思った。相手を鏡として自分のことを知るチャンスがあっても、私は自分のことは棚にあげて他者を悪者にし、自分を良い方に置き、いい気になる一方だった。

だからりつこさんは、自分を疑うことや俯瞰すること、無知の知を、あらゆる方法で教えてくれていたのだと、今更ながら腑に落とせたように思う。本当に沁みなかった。どれだけ果てしない作業なのだろうか?私は全く分かっていなかったのだと、りつこさんに申し訳なく思うし、とても感謝している。

R5.10.26 12:04