日々学び中

2014年6月から小杉利津子さんの真理の勉強会、真理心理学臨床心理学実験(2019年~2021年)に参加していました。その時に学んだこと、今になって分かったことを主に書いています。

忘れてしまった感覚

こんにちは。ご訪問ありがとうございます。

 

ブログを書くことが進まなくて、久しぶりになってしまった。そんな中、YouTubeのおすすめに上がっていたTOLAND VLOGさんの動画を拝見し、とても感動したので記しておこうと思う。

youtu.be

 

youtu.be

こちらの動画を拝見して、私は誰かを羨んだり優越感を感じたり、あるモノには目をむけず、無いところにばかりフォーカスして生きてきたと思い、そんな生き方はバカみたいだと思えた。そして私ってゾンビみたいだと思った。今を生きているようで今にいない。何かをしながらも、頭では未来のことや過去のことをあれこれ考えたりしている。自分が感じたことを表に出すことは恥ずかしいことだと教えられ、そのうち何を感じているのかもよく分からなくなり、自分で考えることもできず、他人の言うことを鵜呑みにして、自分を飾ったり満たすことを考えて、日々流され暗闇の中をただただ漂っている。我の意識のままでいるうちに、本来持っていた感覚が分からなくなったのだと思う。この状態は、生きているって言えるのだろうか?と思った。

実験でりつこさんに、私は「自己完結(:自分だけの視点で終わらせ、誰の視点も汲まないこと(私の解釈)」であると指摘されたことがある。私は表面上はいい人を装っていたが、誰とも手をつなごうと思っていなかったし、つなぎ方も分からなかった。私の解釈になるが、りつこさんから「真理を理解する」に至るためには、手のつなぎ方を知り、実行していくことも必要なのだと聞いてきている。この動画のお話にあるブンジュ村の方たちや昔の日本人の生き方が、他者と手をつなぐ生き方なのではないか?と思った。このような生き方をする人が増えたら、争いごとなんて起きなくなると思った。

私は体裁を整えることばかりで、お互い様を学ぼうなんて思いもしていなかった。表面上は相手を汲んでいるつもりでも、自分のことでいっぱいいっぱいで、自分の立ち位置しか知らないから、いつまでも自己完結から抜け出せなかったのだと、また一つ自分の姿を客観的に見られたように思う。

動画を拝見し、忘れていた大事な感覚を思い出したというか、触れられたように感じているが、慣れ親しんだ我の状態に引っ張られてしまわないように、これからも自分を疑うことをしていく。

R5.10.23 15:05