日々学び中

2014年6月から小杉利津子さんの真理の勉強会、真理心理学臨床心理学実験(2019年~2021年)に参加していました。その時に学んだこと、今になって分かったことを主に書いています。

我のままでいたいのか?

こんにちは。ご訪問ありがとうございます。

ブログを再開してから敬体で書いてきたのですが、何だか自分を装っているような感覚があるので、これからは常体で書くことにします。

 

先日母への恨みを書いたが、私は実験の初めにも同じことをしている。母への恨みつらみを書き連ね愚痴を吐き、それを他のメンバーに読ませて、迷惑をかけるということをしていた。私はあの頃から大して成長していないのだと思う。

なぜ同じことを繰り返すのか?私は、実はこの我のままでいたいのではないだろうか?だから我から脱却できそうになっても、「母のせい」「私は辛かった」などと、核心から目を逸らして、すり替えているのではないだろうか?40年以上この状態で生きてきたので、変化することが怖いのかもしれない。

2016年の個人セッション時、(私の解釈で記すが)「あんまり自分の人生を歩いてないよね。他に気を使いすぎて」「耐えるとか我慢とか自分に負荷をかける方が楽だった。苦しみっていう方を選択してきている」と、りつこさんに言われたことを思い出した。

セッション時は被害者意識で聞いていて、実験時に振り返った時も同じような気持ちだった。今改めて振り返ると、りつこさんの言葉の意味は「私(とも)にとっては、我の意識でいることは自分に負荷をかけることだが、その方が楽だから我のままでいることを選択している」ということだったのではないか?と思った。誰かの価値観(私の場合は母)に、乗っかっている方が、自立しなくてすむから楽だったということなのかもしれない。また、勉強会で「気は使うものではなく、回すもの(私の解釈)」だと聞いてきたが、私は相手の気持ちを推し量ったり、汲んだりすることなく、一方的に「気を使う」ことをして、勝手に消耗していたのだと思った。

簡単なことではないと分かっているが、私は我から脱却して、これからは真理で生きることを選択する。私は真理の勉強がしたいし、本当のことを知りたい。

R5.10.5 11:00