自分を疑問視する
こんにちは。
私は勉強会で、「自分を疑問視する」という課題に取り組んだことがあります。
やってみてまず分かったのは、私はぼーっと生きているということでした。夜にその日一日を振り返るのですが、初めの頃は、疑問を持つ内容が思いあたらず、ほとんど覚えていないこともあったりで、私は一日何をやっていたのだろう?という日がありました。
この時のことを振り返ると、脱力して海の中をただ漂っているだけというイメージが浮かんできます。
この課題の、自分の傾向分析があったので、記録として載せておきたいと思います。
《自分の傾向分析》
私は、~しなければならない、~でなければならないとの思い込みが多くあることがわかった。
これは、私が今まで生きてきた過程で、親から言われたことや、環境からの影響を大きく受けていると考える。
私は、この観念によって、自分の価値観を形成しており、
その価値観に合うことが起こると、嬉しいなど好ましく感じ、逆に価値観から外れると、怒りやイライラなどの反応が起こる。
特に家族に対して、自分の価値観の押し付けをしている。
また、私は、自分のコントロールできないことや、見通しがつかないことに対し、不安を感じる傾向がある。
身勝手になるのも、他者を思い通りにすることで、自分が安心を得たいためではないかと考える。そして、自分を守りたいという傾向も強くある。
自分が劣っているから、良く見せたいという気持ちと、今より悪く思われたくないという気持ちもあり、保身のための言動を多くしている。
悪く思われたくないということは、実は、自分で、「自分」という価値をある程度評価している、ともいえると思う。
実力以上に評価し、それが過信になったり、裏切られたと、恨みになったりしているようにも感じた。H30.8.19 1:36
私は本当に「~しなければならない、~でなければならないとの思い込み」が多くて、いつも緊張していて、鎧をつけているような感覚で生きていました。生き辛かったです。この時よりはマシだと思いたいですが、今もあると思います。
りつこさんに「価値観なんてサングラス的要素にしかならない(私の解釈です)」と教わりました。なぜそんなに大事にしていたのだろう?と、今は思います。
この課題に取り組んで私は、自分の無意識の言動も、傾向分析に書いた保身や思い込みなどの影響を受けていることが分かりました。こういうものが自分の設定になっていて、無意識の時は自動操縦されているのだろうか?と思います。
自分に疑問を持つことがなければ、ただ流されるだけです。意識を今に置いて、自分を見張っていきます。
R5.5.2 11:28