「信じる」について思うこと
※【】内はりつこさんの言葉を引用したものです。
おはようございます。
少し前に私は、元アイドルのSさんの不倫疑惑と、離婚が成立したというネットニュースを見ました。その中で私は、元夫さんの「(Sさんを)信じることにした」という言葉と、「疑惑が晴れたようだ」という記事の言葉が気になりました。なぜなら、私と同じ「信じる」の使い方をしていたからです。
私にとって「信じる」も、「つもり」と同様に、簡単に使えなくなった言葉の一つです。「信じる」は「信ずる」の活用形なので,「信ずる」の意味を調べてみます。
1 そのことを本当だと思う。疑わずに、そうだと思い込む。「神の存在を―・ずる」「成功するものと―・じている」
2 信用する。信頼する。「だれも―・じられない」「―・ずべき筋によれば」
(デジタル大辞泉より)
また、りつこさんの本に【「信じることは”確か”ではないから」だ。何か”それ”を突き詰められたら、自ずと答えは「”真実”が分かるかor分からないか」であり】(小杉利津子 哲学の宿題 より)とあります。
「信じる」は、「真実なのかは分からないけど真実だと思う」時に使う言葉だと思います。なのでSさんの場合だと、疑惑が晴れたのであれば「不倫した事実はなかった」と言えるはずで、元夫さんは「疑惑が晴れたわけではないけど、Sさんの言うことが真実だと思うことにした」のではないかと思いました。
以前の私は、「信じる」を自分に都合よく使っていました。深く考えることをせずに楽をしたり、【”真実”が分かるかor分からないか】の実力がないことを見なくてもすみます。また自分にとって美味しい内容の時は、わざと有耶無耶にして、そういうことにしておきたいということもありました。
さらに私は「信じる」で覆うことで、根拠もないのに、いつの間にか信じた内容が真実であるように錯覚していました。Sさんの記事も同じではないかと思います。
ここで「信」の意味を調べてみます。
1 言行にうそ偽りがないこと。まこと。
2 まことと思う。疑わない。(デジタル大辞泉より)
「真実」の意味を調べてみます。
1 うそ偽りのないこと。本当のこと。また、そのさま。まこと。「真実を述べる」「真実な気持ち」
2 仏語。絶対の真理。真如。(デジタル大辞泉より)
「信」だけだと「真実」の意味と近いように思います。この「信」に対するイメージから、「信じる」=「真実」としてしまうのではないか?と思いました。しかし「信」が動詞の「信じる」になると、真偽は定かではなくなります。これは、言行した本人にとっては、まことであるが、必ずしもそうではないということではないか?と思いました。
私は、「信じよう」と思った時、自分にとって都合のいい内容なのではないか?見ないようにしているものはないか?自分を騙そうとしていないか?と考えるようになりました。
突き詰めて考えることをせず、「信じる」という言葉で体裁を整えて、簡単に真実だと思い込むことばかりをしていると、短絡的な考え方しかできなくなるように思います。詐欺にもあいやすくなるのではないかと思いました。
R5.4.20 9:16